心留まる一節

先日、友人から礼状が届きました。私達の世代であれば、メールだったり、電話あるいはハガキが多いように感じますが彼女はお手紙をくれました。それも、ボールペンではなく筆ペンのようなもので書かれていた手紙。文の内容もですが、その書風がこちら方がありがとうと思ってしまうようなほっこりさせるものがありました。日本っていいなと思う瞬間でもありました。

さて、私は今年に入りほっこりしたことがもう一つあります。それは今年の初めに読んだ古書です。その本はお料理が軸となっていますが、文も添えられてあるものでした。いわゆる料理とは、少し違うような気もするおむすび。しかし、私はこのページに目が止まりました。最初にこのように問いています。

「皆さんは、出来合いのおむすびに感じた何故だか満たされぬ思いはないでしょうか。」

この感覚は、明らかに人の手のぬくもりがないことに対するもどかしさがあるのではないかと筆者は考えており、おむすびというものを説いたある一節を紹介していました。

「おむすびは、指先でつくるものではなく、掌と掌をぴったりと密着させる心持ちでご飯の粒が結ばれるようにつくるのです。掌と掌をあわせるとき、それは神仏に対する敬虔な拍手、合掌などに通じるものがあります。」という一節です。平安時代から稲作の歴史と共に歩み続けているおむすび。遠足だったり運動会など陽だまりの中で食べたおむすびは、母親の掌の温もりがあってこその美味しさだったのかなと思わせる内容でした。『おむすび』は、とても日本らしい優しい言葉に感じました。

「日本っていいな」なんてほっこり話も良いのですが、もうそろそろ日本の固有種杉の花粉のシーズンです。ほっこりなどしていられない方がたくさんいます。杉が悪いわけでもなく、私たちが悪いわけでもなく、ただただ相性の悪いシーズンの到来です。次回は、花粉症について書きたいと思います。